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山を始めて二十数年・・・ここにきて山行記録をつけようと一念発起。どこまで登るかいつまで書けるか挑戦の日々。熱き57歳の山行記。
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8/8 晴
皮肉にもグリンデルワルドを出立の日には朝から一点の雲のない天気なった。ここからはユングラユは見えないが、アイガーの頂がモルゲンロートに染まるのを楽しんだ。
今日はツエルマットへ移動する日だ。途中ベルナー・オーバーラントの山群に囲まれたエッシネン湖のあるカンデルシュテークへ到着した。(9:15)
ペアリフトへ早速乗り込み空中散歩をした。やっと夏が戻ってきた感じだった。リフトの下はハイカー達が歩いていた。リフトを降りると白い嶺峰が真っ青な夏空に一際映えていた。マップを見て「あの山はこれだ!」「あれはこの山だ!」などの山座同定ができたら良いのだが、鋭い岩峰と雪冠の山々は全て立派で同じようだった。約30分間歩いたらトルコブルーの神秘的な小さなエッシネン湖に
着いた。ちょうど八ヶ岳の白駒池ぐらいの大きさだろうか?アルプスに囲まれたオアシスと云ったところか?観光客も少なく落ち着いた雰囲気が良かった。
ここも高原牧草地の中で牛たちが草を嚼みながら見慣れた異邦人に対し、面倒くさそうに振り向いた。強い陽差しを十分浴びながら歩き汗をかいたのはスイスへ来てから初めてのことだった。本当に爽快だ!これを期待していたのだった!
午後はバスごと列車に乗り込みカートレインでゴッペンシュタインへ行き、そこからバスでテーシュに着いた。このテーシュ駅から車が乗り入れ禁止のツエルマットに入るため列車に乗り換えてツエルマット駅に着いた。(15:00)
駅前はさすがに世界の山岳リゾート地だ。人種・民族が異なった観光客がレストランのテラスでくつろぎ、ギフトショップに群がりとても賑やかだった。我々のスーツケースはホテルからの迎えの電気自動車に乗せてもらった。我々は登山列車の線路際にあるホテル「ADMIRAL」へ徒歩5~6分で行った。(15:20)ホテルの窓からはマッターホルンの勇姿が建物の間から見えた。スイスといえばマッターホルンが代名詞といっても過言ではない。何といってもここはマッターホルンがよく似合う。夕食までの時間をギフトショップやCOOPで買い物に興じた。観光客用の昔ながらの馬車や山羊たちの行進は我々を楽しませてくれた。日本からの観光客が多いのでギフトショップには日本人の店員が親切に応対してくれたので非常に助かった。ここは日本の原宿か?軽井沢か?本当に賑やかだ。メーンストリートを5分も歩けば昔ながらの木造家屋がある狭い田舎の村がツエルマットなのだ。夕方は日に焼けながらも満足顔の登山スタイルに身を固めた人たちとすれ違った。「いいなあ~!」「明日も晴れてくれればいいなあ~!」と祈った。
夕食はレストランでスイス料理のラクレットだ。これは美味しいのだけれどもチーズの上にジャガイモがあるだけの非常にシンプルな料理だった。他の具は全く入っていなかった。(一度は召し上がってみてください・・・。)
夜、ホテルの窓からはマッターホルンが闇の中からも堂々と鎮座していた。この様子なら明日は絶対に好天になるぞ!の意志決定をしてから就寝した。
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8/7 曇りのち雨
グリンデルワルド駅発9:32の登山列車に乗りユングラウユッホへ向かった。
列車は緩やかに高度を上げた。車窓からは見たグリンデルワルドの町と高原牧草地帯に点在している農家はまるでおとぎの国の中にあるようだった。曇りがちで4000m級のベルナー・オーバーラントの山々は顔を出してくれなかった。
列車はアイガーグレッチャー駅を過ぎるとユングラウヨッホの終着駅までトンネルの中を進行した。これはもうアイガーの懐に入ったのと同じだ。また鉱山の坑道を進んでいるような錯覚をした。途中駅のアイガーファントからはアイガー北壁が見える覗き窓が設けてあったが、外は吹雪の悪天候にて真っ白なだけであった。晴れていれば岩壁登攀では一流のクライマーがこの北壁に挑戦しているのが見えたかもしれなかった。
初登攀は映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のモデルとなったハインリッヒハラーや加藤滝夫、今井通子、長谷川恒夫などの日本のトップクライマー達の名が頭をよぎった。特に故長谷川恒夫には冬の八ヶ岳の赤岳鉱泉で2回も出逢っていたので想いは深く、彼らが挑み征服したこの北壁の「白い蜘蛛」を非常に見たかった。しかし天候には勝てずとても残念だった。何!?谷川岳一ノ倉・北岳バットレス・剣岳・・・比べようがなかった。
列車は標高3454mのユングラウヨッホに到着した。(11:10)岩壁の中にある駅構内には売店、レストラン、郵便局もあり観光客が群がっていた。また氷河をくりぬいた「氷の宮殿」にはいろいろな氷像が作ってあった。
もの凄い吹雪と強風で展望台にはほんの一瞬出ただけであった。勿論4158mのユングラウなどの山々は見えるはずはなく、せっかく来たのに・・・と嘆くばっかりだった。
帰りはアイガーグレッチャー駅で途中下車をした。(12:50)そこから日本人の女性ガイドを先頭に雨の中をハイキングだ。高原放牧地のルートはしっかりしているが雨そして牛たちの糞に気をつけながら歩いた。所々に放牧牛のカウベルの音が気持ちよく響いてきた。牛たちの居住区をなにやら土足で入り込んでいるようだったが、近づけば逃げていった。牛がこちら側に向かってきたらちょっと怖いかも・・・。道ばたの可憐で寂しそうに咲いている高山植物の説明を受けながらクライネシャデック駅に着いた。(14:10)
そこでは少年がホルンを吹いており、その音色はアルプスに同化していた。
晴れていれば草原でお弁当を開いたはずだったが、雨のため駅舎レストランの軒下のテーブルを選んで食べた。
15:15発の登山列車に乗り振り返れば山々はうっすらとしたガスで顔を隠されていた。しかし黒い巨大な屏風岩のようなアイガーとメンヒの胎内をくぐった満足感でグリンデルワルドに帰着した。(16:00)


8/6 晴れのち雨
朝は快晴となり早速外に出ればモンブラン脇の荒々しい氷河が陽に輝いていた。
出発8:05。約3時間で古都ベルンに着いた。バラ公園でベルンの街全体が見渡せた。ここはまさしく中世のヨーロッパだ。石畳とどっしりとした重い雰囲気の建物や塔が歴史を感じさせた。さすがにこの街は世界遺産となっていた。これは景観を何よりも重んじ、歴史や文化を大切にする国民性の表れである。京都や奈良の駅前を観れば日本では全く考えられない素晴らしい光景であった。
ベルンでは雨に濡れながらアインシュタインの家(Einstein-Haus)を探した。家といっても街の中心部にあり、アパートの2階の狭い1室であった。(1DKといったところか?)彼はここで24歳から3年間この家に住み勉強して、いろいろな素晴らしい論文を発表したという。寝室が勉強部屋となっており、彼は寝ていても思考が深く働いていたに違いない。天才とは本当に凄いものだ!暫くの間厳粛な気持ちとなった。
昼食後すぐにバスでシューピッツの美しいトウ―ン湖へ行き湖上遊覧を楽しみながらインターラーケン向かった。降雨が激しく甲板には出られなかったので、船内の窓越しから湖面に跳ねる雨だれを観ながら、ツアーの仲間と交流した。
インターラーケンで下船したらバスが待っており、免税店を覗いてからグリンデルワルドへ向かった。本来ならインターラーケンからはあの4158mのユングラウが見えるのだが、雨で見えなかった。
グリンデルワルド到着18:20。雨の中でも途中で見え隠れしていた黒く馬鹿でかい岩塊がアイガーだった。垂直に近い岩壁が悠然と構えて「取り付きたかったら、いつでもおいで」と云っているようだった。 そして目前に屹立している3970m峰を見上げていると何となく薄気味悪かった。

8/5 曇りのち雨
朝食前にホテルの周囲を散歩した。雨上がりでしっとりとした畑の奥にはレマン湖が望まれたが、山々はガスっていて見えなかった。
ジュネーブの町へ小観光に出発9:00。国際連合ヨーロッパ本部の脇を通過して、中心街に入ればビルの窓からは必ずお花が飾ってあり、まさしくここはスイスであった。静かなレマン湖には似合わない高さ20mは吹き上げている噴水は観光地としてのシンボルようだった。湖のほとりのオーヴィーヴ公園、花時計を巡った後にシャモニへ向かった。
ジュネーブの市内を抜け山間をバスに乗り約2時間で小雨の中シャモニに着いた。昼食後ロープウェイにて標高3842mのエギュ・ド・ミデイ展望台へ向かった。標高差約2800mを一気に上がったために高度順化がうまくいかず、何だか目眩のような・車酔いのような・息苦しいような気分になったが、早速ロープウェイから外へ出ればそこは真夏なのに吹雪だった。
うー寒い!ヨーロッパ最高峰モンブランはどこだ?晴れていれば白い衣装をまとったモンブランと鋭い針峰群がすぐ目の前に迫りはずなのだが・・・。日本ではお目にかかれない4000m級の山々なのだ。全く何も見えなかった。とても残念!しかし富士山より高いところに来たのはへその尾を切って以来初めてなので満足だ。それにしても寒い!吹雪で体も濡れて震えながらローップウェイでシャモニの町へ下山した。夕方シャモニの町を歩けば観光客でごった返していた。

日 程
8/4  成田 → コペンハーゲン → ジュネーブ
  5  ジュネーブ → シャモニ
  6  シャモニ →  グリンデルワルド(2泊)
  7  グリンデルワルド
  8  グリンデルワルド → ツエルマット(2泊)
  9  ツエルマット
 10  ツエルマット → サンモリッツ
 11  サンモリッツ → ルツエルン
 12  ルツエルン → コペンハーゲン → 成田

スイスアルプス①


モンブラン・グランドジョラス・アイガー・ユングラウ・マッターホルンのアルプスの名峰を眺める10日間のツアーに女房と2人で参加した。7年前は一人でシャモニそしてツエルマットを3日間で駆け抜けたので、今回は古都ベルンやアルプスの少女ハイジのマイエンフェルトなどの観光を含んだスイスの魅力が満載した旅行だ。

8/4 
成田発11:40のスカンジナビア航空にてコペンハーゲン経由でジュネーブへは約15時間かかった。狭い機内では脚も伸ばせずゆっくり出来ないので疲れたが、気持ちは段々高まってきた。
ジュネーブには夕方着いた。外は小雨。第1夜のホテルはレマン湖畔の小高い丘の上にあり、傍らにはひまわり畑が広がる景色の良いところだった。機内食を食べたばかりでお腹は空いていないが寝酒にと思い女房と2人でホテルのレストランに入った。注文に来たウエイターの言葉が全く分からず右往左往したが、女房が落ち着いてワインを日本語らしき英語で話したら何とか通じておいしいワインを持ってきた。この若いウエイターが一生懸命我々を理解しようとしてくれたおかげだ。話が通じ合ったときのあの笑顔は忘れられない。これが旅の序章であった。
日本列島では6月から雨期(レインシーズン)に入り、例年ならもうとっくに終わっているはずだったが、今朝はやっと抜け出したような空模様が広がり一安心した。
日本の雨期を「梅雨」と呼ぶのは非常に奥ゆかしいことなのだが、いつの世も「過ぎたるは及ばざる如し」なんだなあと今更ながら実感した。
気象庁からの正式な梅雨明け宣言は今のところ聞いていないが、僕の見立てでは「明けた!」だ。
待ちに待った梅雨明けに歓喜し、「さあ夏だ!山だ!」の勢いが湧いてきた。
この時季たっぷりと湿り気を含んだ樹木に真夏の陽差しが眩しいほどに輝くあの緑の優しさにに早速と抱かたいと思うのは僕だけだろうか?
呼んでいるな、呼んでいるよ、あの山が・・・。

来る7/30は尾瀬へ、いやいや明日(7/27)と明後日(7/28)は長野県戸隠へ飛び込みます。


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